キングと呼ばれた私


この世の中には、こんな私でも“キング”と呼んでくださる方がいらっしゃいます。しかも麻雀の腕について。
麻雀店『SPロッキー』のオーナーで元プロ雀士、現在は麻雀伝道師を自称するロッキー堀江さん、店員の梅木透さん、ロッキーさんの奥さんの堀江桃子さん、それに『SPロッキー』のホームページの管理人・豊田宜正さん。
ここではその理由をお話ししましょう。
 

私が自分のパソコンを手に入れたのは98年10月、ほぼ同時にネットデビューを果たしました。
初めて仕事以外でネットを使えるようになった私がまず訪れたのは、麻雀関係のホームページ。人と打つことは長らくなかった私ですが、ゲームセンターでは麻雀ゲームばかりをやり、たまにフリー雀荘にも行くことがありました。
かねてから興味のあった女性だけの麻雀サークル『たまご組』のホームページを見ると、サークル主宰者で漫画家の花摘香里さんのホームページへリンクが張ってあります。訪れてすぐ掲示板に書き込みをして、あっという間に常連になりました。

花摘さんは麻雀漫画誌『近代麻雀オリジナル』に、たまご組関連の連載を持っています。ある日見てみると、そこには「SPロッキーにて麻雀大会開催!」の文字が。
私のような初心者は普通こんな大会には参加しようとは思わないでしょうが、開催日を見てむくむくと興味が頭をもたげました。
3月7日。私の30歳の誕生日です。
 

家族以外から誕生日を祝ってもらったことがない(実話)、友だちのいない私。だったら、いっちょパーッと麻雀でも打って、自分で自分を盛り上げるかぁ、と。それに、花摘さんはじめたまご組の皆さんも参加するそうだし。前々から花摘さんの漫画で知っていたロッキー堀江さんにも会えることだし。
花摘さんに、掲示板にて「点数計算ができない、打牌も遅い、こんな初心者でも出ても構いません?」と質問。花摘さんからの答えは「いいんじゃない?」「点数計算は誰かが教えてくれるからおっけ♪」。
そして、花摘さんのリンクから『SPロッキー』のホームページに行き、そこにあったメールアドレスから、直接ロッキーさんに参加希望のメールを出しました。

大会当日、いきなり行ったんではルールになじめないだろうし(一発裏ドラなしなど若干特殊)、ロッキーさんにも失礼だろう。そう思った私は、挨拶がてら大会の一週間前に初来店し、打ってみました。
・・・半荘7回で、トップはおろか、プラスになることさえ一度もなし。大会前日、再び訪れて半荘4回打っても、その体たらくは変わりませんでした。

ところがぎっちょんちょん。大会当日、フタを開けてみると、配牌もツモもまぁいいこといいこと。3回戦まで終わって、トップ2回、2着1回。
最終順位は総得点ではなく、トップ+7、2着+1・・・と換算した順位ポイントの合計だけで決まります。現在、3連続トップが1人だけ。ということは、もしこの人が4回戦でトップを獲れず、もし、万一、まかり間違って私がトップなら、優勝の可能性が出てきてしまいます。あらま、どうしましょ。
ドキドキしながら打った4回戦。しかし、バカヅキハリケーンは衰えるどころかますます勢力拡大。南場の親で7連荘の末、6万点近くの大トップ。そして、件の3トップ氏は2着に終わったとの報が入る。さぁ、いよいよ大変なことに・・・。
結局、3人が同点。総得点で最終順位を出した結果、4回戦めの大トップが効いたのか、ロッキーさんまで抑えて私が優勝ということになってしまいました。

花摘さんが大会の途中で、こんなことをおっしゃいました。
「えー言い忘れましたがー、この大会で優勝された方には『ロッキーキング』の称号が与えられますー。大会以後は、その方が来店するたび『キング』と呼ばれまーす。チョンボをすると“しっかりしてくださいキングぅ”と暖かい言葉がかけられますー。(会場笑)」 
よもやそんな大それた称号を、私がもらおうとは。花摘さんは背中に“KING OF ROCKY”と書かれたTシャツを下さいました。それだけには留まらず、『近代麻雀オリジナル』誌上に私の名前を出し、あまつさえたまご組の会報には似顔絵まで描いてくださりました。SPロッキーで再度行われた大会では、いきなり「よぉキングぅ、成績どうなんだよぉ」と話しかけてきました。オットコ前な方ですわ。
 
 


それから私は、再び麻雀をよく打つようになるのですが・・・。その話はまた別の機会に。