広告講座番外編 〜下請け残酷物語〜

実名入りに変更〜♪

 
 

・・・私が中途入社した広告制作プロダクション「ザ・マン」。そこでの初めての仕事は、広告賞用の新聞原稿でした。広告業界にはいろんな賞がありまして、その賞を獲るためだけに作られ、掲載も1回だけなんて広告も、けっこうあるんです。

クライアント(広告主のことですね)は総合電機メーカーの三菱電機。広告代理店は、三菱電機のグループ企業で同社の広告を作るためだけに存在する(こうした広告代理店をハウスエージェンシーと呼びます)アド・メルコ※当時の名称、さらに大手代理店の博報堂。基本的にアド・メルコは三菱電機の意向を博報堂に伝えるだけで、実制作は博報堂に一存します。そして博報堂からの指示を受けて、本当に広告アイデアを考え、コピーを書き、デザインをするのが、私がいたプロダクションです。
媒体は日本工業新聞、日刊工業新聞など、電機メーカーのための業界紙。件の賞はこうした新聞社が主催し、自前の新聞に載った広告だけが授賞対象になります。30段4色での依頼。平たくいえば、新聞見開き2ページにど〜んと、しかもフルカラーで載せるってことです。こんなすごい原稿、滅多にありません。
商品は指紋照合装置。数年前から普及してきましたが、IDカードや暗証番号に代わって指でオフィスの入出管理などをするあれです。ふだんはあんまり広告しない、その割りには需要が高く機能もわかりやすい、広告賞狙いには打ってつけの商品です。
社内スタッフは、クリエイティブディレクター(CD=広告表現の統括責任者)兼プロデューサー1人、アートディレクター(AD=デザイン面の責任者)2人、デザイナー1人、コピーライターが私を入れて2人。ちょっと大がかりな編成を組みました。

私はがんばりました。他のスタッフはそんなこと少しもしてないのに、ひとりだけ図書館などで資料を漁りました。そしてそこから、20以上のアイデア、100本を超えるキャッチコピーをひねり出しました。“妊娠10週め頃の胎児にはもう指紋が完成している”という事実(私が図書館で見つけてきました)を基にしたアイデアを中心に、制作は進んでいきました。しかし、ADもデザイナーも、いいビジュアル案を出してくれません。だいたい、出す案の数が少ないし。こっちはもう『親から名前をもらうまえに、親から指紋をもらいました。』というキャッチと、ボディコピーもほぼ書き上げているっつーのに。毎日ほぼ終電まで、アイデアの出し合いは続きます。CDもCDで、まとめ役のくせになかなか表現を決定しようとしません。しまいには「こんな面倒なことしたくないんだ!」とか怒り始めるし。
博報堂への提出期限が迫ってきましたが、状況は相変わらずです。いよいよタイムアップ。CDから聞いた博報堂からの回答は「コピーだけ使わせてもらうよ」とのこと。でもまぁこの時は、社内の人間の無能さを実感しただけでしたけど。

数ヵ月後、別の仕事でアド・メルコへ行くと、壁に何か貼ってあります。社内報のようなものですが、そこには例の商品の広告が。キャッチコピーなど、ほとんど私の書いたものそのままです。アイデアなんてまるっきり変わってません。で、その広告が、とある広告賞の1位を獲った、と書いてあります。
その場にいた例の無能CD(名前は矢上といいました)に「あの、これって・・・」と尋ねると、それがどうしたの?とでもいう口調で「ああ、そうだってね」・・・。
ばかかてめえ! 聞いてたなら、なんで当事者の俺に教えない? 俺がいなけりゃこの広告できてなかったし、営業的にも博報堂と太いパイプできたんじゃねぇのかよ!!

さらに数ヵ月後。この広告と、今度は別の場所で対面します。その年の『TCC広告年鑑』。東京コピーライターズクラブという団体が編集するこの本に自分の作った広告を載せることは、ほぼすべてのコピーライターの目標です。そして件の広告は、部門賞ノミネート作品として載っていたのです。
一緒に制作スタッフの名前も掲載されています。しかしそれは博報堂社員に、聞いたこともない制作プロダクションの社員らしき名前。コピーライターの欄には、会ったこともない牛山和則とかいう名が入っています(博報堂側のCDを担当していたらしいですが)。私の名前はどこにもありません。まさかこんな形で、私の広告の初掲載が果たされようとは。

結局、栄誉を受けたのは三菱電機とアド・メルコと博報堂、個人では牛山氏など博報堂の人間だけ。私への恩賞は、お礼の言葉さえ一切ありません。いちばん努力したはずの私の存在は、消されたわけです。
その後、私はザ・マン(特に矢上CD)に見切りをつけ、1年足らずで退社しました。それが精一杯の抵抗でした。

※この矢上という男、他にもいろいろ変なところがあって。三菱電機の工場に取材に行って、そこの社員食堂で先方の担当者も交えた昼食。矢上CDはカツ定食を、私は刺身定食を注文し、先に刺身定食が出てきたその時。矢上CDは「おお、来た来た」の言葉とともにそれに手を伸ばし、そそくさと食べ始めました。私は後に来たカツ定食を食べるしかありませんが、その当時、私には医者から指示された食事制限があり、カツは食べられません。しかたなく刺身定食を注文し直しましたが、クライアントを待たせてしまうことになったのは言う間でもありません。
まだ広告業界にいることが充分考えられるので、もし矢上功と名乗る人物があなたの会社にいたら、さっさとクビにするのが身のためですよ。
 



 

さらに後日談。
ザ・マン退社から約5年もたってからのこと。ひょんなことから、当時のことを知る三菱電機の関係者から新しい事実を聞くことができました。

広告賞によっては、受賞広告を掲載した冊子を発行します。私の作った広告は当時、社内ではとても話題になったらしく、多くの人が冊子を見たそうです。
冊子には受賞者コメントとして、牛山氏の談話が載っていたそうです。それはこんな感じ。
「その日の打ち合わせでも、なかなかアイデアが出ずスタッフは煮詰まっていた。すると、ふと、同席していた女性スタッフがこんなことをつぶやいた。“そういえば赤ん坊って、お母さんのお腹にいるうちに指紋ができてるらしいですね”。この広告を産むきっかけとなったのは、そんな何気ないつぶやきだった」

はい、大ウソですね。しかも非常に作為的な。『TCC広告年鑑』のスタッフ名には、女性の名前なんて載ってません。しかし前述のような“つぶやき”を男性がするのは不自然だと考えて、女性を登場させたんでしょう。狡猾ですね。
「スタッフの一人が指紋について調べていくうち、わずか3ヵ月弱で指紋ができあがっているという事実を探し当てた。世界でただひとつの自分の名前をもらう前に、子どもは既に、世界の誰とも違う指紋を親からもらっている・・・。この事実を知ったとき、これ以上のテーマはないと思った」とでも書けば、まだ罪がないのに。そうすれば、私の努力も無視してないわけで、それほど逆鱗に触れることもなかったでしょうが。
なのに、卑小な“つぶやき”なんてものに置き換えやがって。このテーマを探してくるのに、図書館に何回通ったと思ってる? 百科事典を何冊調べたと思ってる?
 



 

・・・最初はこの話、“こんな小ズルイ話、ギョーカイではよくあることだよ。それでも広告なんてやりたい?”と、広告業界に憧れてる若い人に対するちょっとした警告のつもりだったんですが。しかし、前述のような牛山氏の発言を知るに至って、何の罪の意識も持ってないのがわかり、牛山氏の告発へと変更しました。
牛山さん。あんたには単なる数多い仕事のひとつかもしれないが、こっちには出世作になってたかもしれないくらいの成果だよ。この広告がどんな賞とってるか知らないから、職務経歴書にも書けないんだよ。あんた、人ひとりの人生狂わせてんだよ? 今さら受賞辞退しろとか言わないから、何を受賞してるかくらい教えてくれよ。な?

興味のある方、『TCC広告年鑑1998』158ページ、掲載作品No.249をご覧ください。できれば、私が書いたキャッチと見比べて。これが、私が今まで作った広告の中で、最高の仕事です。

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